死去ネット

菊池恵美

きくち めぐみ
1951 - 2013
元西日本新聞社取締役
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8日前 ID:250027
君が、第3回目からヘルパーとして参加した糖尿病サマーキャンプの50周年パーティーが、11月3日に開催されるそうです。
俊ちゃん
2018.06.25 ID:243243
酔っ払うと、君のことを思い出します。俊ちゃん
2018.06.25 ID:243234
明日、あなたを肴に、天神の「キリン」で17時30分から呑みます。今のところ参加者はそわかのママだけですが、良ければご参加ください。俊ちゃん
2018.06.25 ID:243215
明日、閉店した「そわか」の山口ママと、あなたを肴にして飲む予定です。「そわか」の新しいお店は、いまのところなさそうです。
2018.06.23 ID:242971
今日、福人研の例会に出席しました。村山夫妻、西君、白石さんも参加してました。
2018.06.14 ID:241644
まだまだお若くしてのご逝去、残念でなりません。ご冥福をお祈りします。
俊ちゃん、お知らせありがとうございました。
2018.06.14 ID:241625
私も線香を上げましょう。俊ちゃん
2018.06.14 ID:241609
大好きだった菊池さんが亡くなる前に 鹿児島から 洋司 愛子 ひろ子3人でお見舞いに行きました 足がむくんて辛そうでしたが 最後まで私達を気遣って下さいました 素晴らしいみんなに好かれて幸せな人生だったと思います 私達は 彼と知り合えて幸せでした ご冥福をお祈り申し上げます‼️ あやちゃんと天国から 見守って下さいね ありがとう❗
2018.06.13 ID:241465
私の追悼文の続きです。俊ちゃん 平成25年7月2日
その時配布された栞、書いた方は、ほとんど新聞社関係の人でしたが、私が学生時代から知っている彼そのものが活写されていました。その栞のなかに、彼の言葉として、「志を持ち続けること」が書かれていました。

合掌
2018.06.13 ID:241464
私の追悼文の続きです。俊ちゃん
 6月17日に行われた「お別れ会」は、西日本新聞会社グループが発起人でした。当然のことながら、新聞社関係の方が多いのでしょうが、ヤングホークスの子供たち(と言っても50才以上が多いのですが)や、医者たち、元九大教育学部長2名を含む福人研のメンバーなど、東京や大阪からも含め、数多くの参列者がいました。
2018.06.13 ID:241461
私の追悼文の続きです。俊ちゃん
 西日本新聞を見て、この記事は彼が書いたなと思い、彼に確かめると、かなりの確率であたりました。彼と良く新聞論など語りあったものですが、「事実は一つであるが、真実は人の数だけある。」とお互い納得したものです。彼の書く記事は、彼の志や、においがしたものです。弱者や、子供たちの目線を感じたものです。

2018.06.13 ID:241460
私の追悼文の続きです。俊ちゃん
 平成13年の西日本新聞の「デスク日記」で、ヤングホークスの子供たちに関することを彼は書いていました。また、福岡いのちの電話の理事を8年間も続けていました。これらのことは、彼の中で学生のころからの志が持続している証でしょう。

2018.06.13 ID:241458
私の追悼文の続きです。俊ちゃん
その後もフィリピンの子供たちのルポを書き、晩年は、在福岡カンボジア王国名誉領事館の上級顧問もやっていて、東南アジアに対する目線も持ち続けていました。

 平成13年の西日本新聞の「デスク日記」で、ヤングホークスの子供たちに関することを彼は書いていました。また、福岡いのちの電話の理事を8年間も続けていました。
2018.06.13 ID:241457
私の追悼文の続きです。俊ちゃん
 彼は、学生の頃、ベトナムに平和を市民連合(べ平連)活動もやっていました。社会人になると、学生運動のことは語らなくなる風潮の中、記者になっても、彼はべ平連活動をやっていたことを隠すことはしませんでした。
2018.06.13 ID:241455
私の書いた追悼文です。俊ちゃん
キャンプ、そしてすぐに福岡人間関係研究会(福人研)にも参加し、実践の中で、彼の人生のモットーは確実になっていったのでしょう。当時、彼が熱心に付き合っていた子供たちの中に、非行に走り、治療もままならない子がいましたが、現在も続いているキャンプに、立派に成長し父親になっているその子が来て、「キャンプがなければ、今の私はいない」と語ったそうです。

2018.06.13 ID:241454
私の追悼文の続きです。俊ちゃん
1型糖尿病の子供たちは、生涯インシュリンを打たなければいけない、それでも、失明したり、夭折する子もいるという、厳しい現実を受け入れなければならないのです。その子たちを目の当たりにして、彼は実に精力的に子供たちと付き合いました。
2018.06.13 ID:241453
私の追悼文の続きです。俊ちゃん。
子供たち、弱者と同じ目線で、受け入れること、語り合うことが、彼のモットーでした。

 彼との出会いは、彼が大学2年の時、私たちがその2年前からやっていたヤングホークスにヘルパーとして参加した時からでした。
2018.06.13 ID:241452
私の追悼文の続きです。俊ちゃん
 平成21年のこだちの総会後の講演会で、元西日本新聞取締役編集局長の彼は、土井高徳氏と共に講師を行いました。タイトルは「子供たちが大人につきつけること」。社会部の記者としての長い経験をもとに、「手塩にかける子育て」を語っていました。
2018.06.13 ID:241451
私の追悼文の続きです。俊ちゃん
 5月20日に逝去、その翌日、同じ病院に重篤な状態で入院していた最愛の夫人がなくなりました。絶句です。私の親友と言ってはばからない菊池夫妻との別れでした。

2018.06.13 ID:241450
私の追悼文の続きです。俊ちゃん
自分として何が出来るか、しきりに気にしていました。何度も見舞いに行った時はしたことのない握手をなにげなくして、「では、また来週顔だすから」と声掛けて別れたのが、菊池君との最後の会話でした。

2018.06.13 ID:241449
私が書いた追悼文です。俊ちゃん
平成25年7月2日
菊池恵美氏を偲ぶ  ―志を持ち続けること―
中村俊夫
 私は、5月17日、法学部の2年後輩の菊池恵美君(男性です)を病院に見舞いに行きました。細くなった声で、「小児糖尿病サマーキャンプ(ヤングホークス)」と「福岡いのちの電話」に
2018.06.13 ID:241441
いい男でした。親友でした。忘れられません。俊ちゃん
2014.04.30 ID:128701
えみちゃんが大学4年生の夏、一緒に九大の山の家で合宿しました。帰りに私のサンダルのかかとが折れました。
その時、えみちゃんがさっと靴をぬいで、はだしが気持ちいいよと言って歩きだしました。私もヒールがとれたサンダルを手に持ち、はだしで歩きました。 そんな風に優しさを現す人でした。 えみちゃん 42年たっても私は覚えてるよ。 いつかあえる事を夢見ていたのに、残念です。
2013.07.24 ID:74845
お悔やみ申し上げます
2013年05月20日に亡くなった人