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沢田平大夫元次

さわだへいだゆもとつぐ
1579 - 1650
武士 弓大将
沢田平大夫元次さんについて
沢田但馬忠次の子。福井県小浜市で生まれる。16歳の時に石田三成に仕えた。関ヶ原の戦いで石田家が滅亡後浪人するが、1612年に藤堂高虎に仕え500石を与えられる。
 大坂の陣に従軍し、八尾の戦いで活躍し、徳川家より朱槍免許、大御所様より蒔絵の腰弁当を賜った。その後、順調に出世し、最終的には3千石の領主となる。
1650年8月18日死亡。
信長の野望にも新武将として登場した(2017)

沢田家は先祖以来源家筋である。
『沢田但馬忠次は宇多源氏の流れを汲み・・・』と藤堂高虎家臣辞典には記されている。
佐々木定綱の子、定高から「沢田」姓を名のったと沙沙貴神社系図より確認できる。
また姓氏家系大辞典では、
澤田氏【安倍氏族、佐々木氏流】尊卑分脈に「佐々木定綱―定高(澤田)―定時(本時定)―定淸」、また淺羽本佐々木系図に「時定(澤田太郎左衛門)定淸(澤田源太郎左衛門)」と見えるため、その流れを汲んでいる可能性がある。


その子孫また血族の者たちの活躍
●『庸軒詩集』延宝八年の詩の引では、藤堂藩 弓大将 澤田暮監が作った、弓名人の少年を讃える詩に対して朱雀繍松公韻ヲ慶グ」とあり、その後で庸軒自身も和韻したというエピソードが残されている。
●『醍醐随筆』には中山三柳が藤堂藩の澤田蠡管(れいかん)こと3代目澤田但馬にあてた詩が収められている。
●『内海家は幕末まで藩の鍵鎗術師範を務めた。二代目の重行も鍵槍術に優れ、慶安二年、藩主・藤堂高次より将軍・家光への鑓術上覧を命じられ、門弟・澤田甚左衛門忠之を連れて江戸へ下向。同四年三月、鑓術を家光へ披露し、小袖三を拝領している。』

参考文献:藤堂高虎家臣辞典
高山公実録
醍醐随書
2021.08.13 ID:1286796
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