死去ネット

岡野繁蔵

おかのしげぞう
1894 - 1975
南洋の貿易王 衆議院議員
岡野繁蔵さんについて
岡野繁蔵先生は、明治27年(1894年)6月4日、当時は志太郡青島村字新屋敷といった地に三人兄弟の末子として生まれました。まだ20歳になったばかりの大正初期からオランダ領東インド(現・インドネシア)に渡り、雑貨貿易と百貨店経営にたずさわりました。そして、『青島町誌』によれば、わずか36歳にして「南洋の貿易王」と称されるに至ったといいます。

その後、太平洋戦争の激化で日本本土に引き揚げることになりましたが、戦後は衆議院議員やカレー店経営など様々に活躍していたようです。“希望に起き、感謝に眠れ”が信条で、“国や郷土の為に貢献された”人生だったそうです。昭和50年(1975年)、81歳で亡くなりました。
岡野繁蔵さんへコメントする
あと500文字入力できます
(以下未入力でも投稿できます)
お名前
削除キー
画像
テストページ で投稿のテストが出来ます。
使い方は 投稿について をご覧ください
7日前 ID:194516
カシミアのマフラー
今、伊豆の別荘で思いを巡らせています。
後悔ばかりの人生です。
2017.08.09 ID:193617
葉山の海岸
何だか先生のこのネット空間が、私にとって居心地の良い、ほっとするような空間になってきてしまいました。先生のネット墓地を作成した私の目的からはずれてしまいますが、これからも独り言や思い出話を呟ける場所にさせてください。
合掌
2017.08.09 ID:193597
ベージュのライター
岡野先生は野尻湖の別荘開発にも貢献されたと聞いております。何度か訪れたことがありますが、春夏秋冬を通じ素晴らしい環境の別荘地ですね。岡野薫子さんのエッセイにも当時の先生の別荘の様子が詳しく書かれていました。先生のお子様たちも、お休みの度に別荘に行かれていたことをお聞きしたことがあります。私も是非野尻湖周辺に別荘を構えたいと思いますが難しそうです。
2017.07.27 ID:191264
レピドール
私の愚息は東京芸術大学の美術学部を卒業しています。今も芸術系の仕事で頑張っています。
彼は高校2年生の時に、芸大に行きたいと言い出しました。
私はその時に迷わず放課後に「御茶美」に通うことを薦めました。何の知識も情報も無かったのですが、自分の青春時代の甘酸っぱい思い出の中に「御茶美」だけは明確に残っていました。複雑な思いで見守っていましたが、彼は見事に合格しました。何かに取り付かれたように毎日努力している彼を自分の青春とダブらせて応援している自分がそこにはいました。何か運命みたいなことも感じながら。
お父様が美術品が大好きだから、お父様を喜ばせてあげたいから、と言って様々なことを犠牲にし、芸大を目指して努力していた大切な人を今も忘れません。その人は貴方のことが大好きでした。
2017.07.25 ID:191062
真っ白なハンカチーフ
過去の思い出を振り返ることがとても楽しく感じられます。
年を取って、将来に不安を感じたり、大きな夢を追いかける事に魅力を感じなくなったり、今私は人生の最終コーナーをいかに楽しく送るかを考え出しています。そんな時、昔の楽しかった思い出にしばらく思いを馳せる事は実はとても大切なことだと思い出しています。人生の最後は自分が一番輝いていた時の事が鮮明に思い出されるらしいですね。
2017.07.21 ID:190495
亀のバッグチャーム
百貨店の名前を「千代田」にした理由は、当時日本を代表して海外に渡った岡野先生が、江戸城=千代田城からだったのですね。
やはり日本が恋しかったのでしょう。
「日本の飛石となれ」という言葉を胸に孤軍奮闘された姿をもっと日本人に知ってもらいたいと思っております。
2017.07.20 ID:190366
時間割
「南洋の生活記録」に書かれている、世界のラックス石鹸を天才的なマーケテイング手法を用い、ジャワにおいてあっという間に自社ブランドで逆転してしまった事実は、ハーバードビジネススクールのケーススタディになってもおかしくない歴史的快挙です。マーケティングを学んできた私としては当時学問として存在しなかった手法を次々に繰り出す先生の天才的手腕には唸るばかりです。
2017.07.16 ID:189972
碓井裕二
本日の命日にあたり、心より哀悼の意を表します。
2017.07.13 ID:189632
湯島天神のお守り
独り言を聞いてください。
私は四十数年前大学受験に失敗し、その後のドタバタな青春の葛藤の中で、一番大切な人を傷つけ悲しませてしまいました。そしてその人は私の前から去っていきました。
今でも本当に心の底から当時の自分の浅はかさを後悔しています。人生にとって本当に大切なことがわかっていなかったのです。このような感情が数十年の時を経ても変わらずに残るとは思いもしないことでした。
私の人生もそれほどの長さを残してはおりません。きっと大好きなヘルマンヘッセを片手に去っていくのでしょう。
その時は天国で直接お話ししましょう。
2017.07.03 ID:188587
碓井裕二
今年も命日が近づいてまいりましたが、残念ながら青山の墓地へは伺えそうにありません。
慎んでご冥福をお祈りいたします。合掌

               yujiusui107@gmail.com
2017.04.20 ID:181036
碓井裕二
人生は、なんと悲しく、また愚かしく混乱したものだろう。愛もまた、むなしい。人間はお互いに好意をもっていながらも、めいめい別々に自分の運命を、自分だけの不可解な運命を生きなくてはならない。互いに助け合い、身近にいたいと思っても、意味のない混濁した悪夢にうなされているときのように、思い通りにすることができない。

ゲルトルートより
2017.04.19 ID:180960
碓井裕二
あなたは深いところで、とてもよく知っていました。たった一つの魔法、たった一つの力、たった一つの救いがあることを。それは「愛すること」だということを。

ヘルマン ヘッセ
2017.03.07 ID:176732
碓井裕二
岡野繁蔵先生のご令嬢であられる旧姓岡野江美さんとは青春を共に過ごさせて頂きました。
江美さんのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
2017.02.03 ID:173209
松永嘉郎
私の親爺は 若い頃 岡野さんに 南洋に来て 仕事をてづだえと 度々勧められたが、行かなかったが、とても行きいと思ったと。二度目の衆議院立候補の時 我が家を訪ねられて
一度だけお会いしました。短かったが、声も聞きました。
それで南方周紀の著書があると 図書館で探したが、近くの図書館にも無かったので、小豆島の出品者から 定価3円70銭の古本を一万円で買いました。甥が藤枝にいるらしく 商業学校の先輩です。
2017.02.01 ID:173035
碓井裕二
一度で良かったのですが、直接お話をしたかった方です。
様々な著書や映像を拝見しました。
ご苦労も多かったでしょうが、波乱万丈な人生は大変魅力的です。
2017.01.30 ID:172836
お悔やみ申し上げます
1975年07月16日に亡くなった人