まいり
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中山小寒

なかやま こかん
1837 - 1875
天理教教祖中山みきの五女
中山小寒さんについて
中山みきの末の子として、天保八年(1837年)十二月十五日に生まれた。

そして、こかんがようやくもの心のついたころには、教祖は、神のやしろ?として、世界の人間をたすけるために、貧に落ち切る道を急がれていた。

それで、こかんは、変わりゆくわが家の姿を見ては、子ども心にさびしい思いをしたこともあったが、だんだん成長するにつれて、教祖のしていることが、世界たすけのためであるとわかり、自分も、教祖の手伝いをしたいと決心した。

嘉永六年(1853年)、こかんが、十七才年の二月、思いがけず、父が出直しになり、家は、いよいよ貧のどん底へと向かった。

こかんは、この大ぶしの中を、教祖のことばを素直にうけて、はるばる大阪へ神名を流しに行った。

そして、にぎやかな町のつじつじに立ち、手にした拍子木を打ちながら、

「なむ天理王命、なむ天理王命。」

と神名を流した。

これが、お道?のにをいがけの始まりになった。

天理読本6

2021.01.11 ID:1178621
13峠を通られた。
2020.02.07 ID:378255
小寒さま、よく頑張りましたね。ありがとうございました。
2019.04.22 ID:301054
こかん様安らかに
2017.08.06 ID:192742
高木 繁
小寒 さま 初めまして私は用木 繁であります。御霊様への朝夕のご挨拶には教祖様の霊統を継承された方としてまず小寒様 次に御本席様 その次が天理教本部で何故か抹殺された上田ナライト様の順で拝をさせていただいております。このような事を述べますとまた狭量の本部 、教会よりお叱りをうけますので自粛致しますが いわゆる異端といわれて教団を追放された先達の方々を大きく抱き抱えて行くぐらいの器量が教団にあったなら本教はとっくの昔に世界宗教になっていただろうと予想されかえすがえす残念でなりません。やはり組織が守りに入ると衰退の道しかないなと寂しさをつくづく感じます。
先人達のように身も財産もつくさずにおれんと思える様な本部員さま教会長さまはもうあまり存在しないと感じるのは果たして私一人でしょうか? 組織の本来の在り方をもう一度考えるのでは無く実行したいものです。私だけでも。
2017.01.05 ID:170941
ちは
ありがとうございました
2015.07.29 ID:144506
お疲れ様です。
教祖130年祭を共に祝いましょう。
2014.06.09 ID:132030
あの世からお見守りください。
2014.06.08 ID:132010
お悔やみ申し上げます
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