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宮木堅甫

みやき かたよし
- 1589
安土桃山時代の武将 
宮木堅甫さんについて
官称 右兵衛尉
通称 宗賦入道
幼名 十
室 吉田安藝守定雄息女
法名 大城院殿前武衛窓譽宗賦大居士
(金地院二世最岳元良には従兄弟伯父にあたる)


長男 正重(対馬守 藤左衛門 池田輝政に仕える)
二男 文利(新太郎 右兵衛尉 刑部)
養嗣子 豊盛(従五位下 丹波守 長次郎 入道宗光 )

娘 清久比丘尼 清久寺中興開山
長女 松本民部少輔長甫室
次女 鯰江権右衛門貞勝室
三女 三上庄左衛門士秀室
四女 宮木丹波守豊盛室

父とともに六角義賢に仕え、偏諱「賢」を受けるも
観音寺騒動の後、山崎片家らと共に離反
「賢」を捨て「堅」の字に改める。
信長の近江侵攻時に服属、後に秀吉配下となる。

天正13~14年にかけて秀吉の九州征伐にあたって
黒田勘解由(官兵衛)孝高・安国寺恵瓊とともに
奉行に任じられ、息子豊盛とともに任に当たる。
主に大友氏担当として毛利・大友の婚儀による和睦を
成立させるなど島津包囲網冊立に活躍。

天正17年(1589)7月29日、秀吉の命によって渡海した
土佐国において没す。
2014.06.07 ID:131955
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