死去ネット

有川矢九郎

ありかわ やくろう
1829 - 1908
武士 実業家
有川矢九郎さんについて
有川 矢九郎(ありかわ やくろう)
天保2年9月14日に誕生。
有川家累代の家継圖によると、文政12年(1829年)己丑(つちのと うし)9月14日生まれとなっており、享年78歳から数えると、文政12年生まれが正しいと思われる。
グレゴリオ暦1829年10月11日生まれ。
始 二之介、後 矢九郎。 実名は、貞實(さだみ)。
明治41年10月3日死去。享年78歳。

幕末から明治時代の薩摩藩士、武士・実業家。
父は、有川貞馨(始 清七郎、後 六右衛門)、母は吉田六郎右衛門の娘、志津子。
兄に有川 十右衛門(ありかわ じゅううえもん)隠居名:雪山が居る。
文化8年辛未(かのと ひつじ)1月12日生まれ。グレゴリオ暦1811年2月6日生まれ。
父貞馨の弟である貞幹の継目養子となる。

薩摩藩海軍として活躍し、戊辰戦争では軍船掛(船奉行)として藩軍兵の輸送を担い、薩英戦争では談合役(参謀)として指揮を執った。
元治元年(1864年)に「胡蝶丸」の艦長、のち薩摩藩海軍軍艦の蒸気船「三邦丸」艦長を務めた。

藩の命を受けて幕末の大阪や江戸を何度も航海していたことは無論のこと、西郷隆盛が遠島先から帰る、迎えの船が「胡蝶丸」であり、坂本龍馬の妻おりょうと新婚旅行で薩摩に向かって乗った船も「三邦丸」である。

明治5年(1872年)には「三邦丸」の払い下げを受け、海運業を設立。明治6年(1873年)には大蔵省から「鹿児島丸」の貸与を受け、同年には官(県庁)の所有地であった旧伊敷村の不動堂(現在の梅ヶ渕不動堂)を購入して、別邸を建てている。
明治7年には、台湾出兵に際して兵員の輸送にもあたり、海運業は、主に台湾やフィリピンなどと交易し、実業家としても成功した。

また、遠戚にあたる岩山八郎太直温の二女である糸子を西郷隆盛の妻として紹介したことでも知られる。

西郷南洲翁の撰文または書になる漢文碑は、7基あり、その中の1つに明治7年甲戌9月下旬に書いた、「有川矢九郎頌徳碑」がある。
現在は、西郷南洲顕彰館の敷地に移設され、保存されている。
有川矢九郎さんへコメントする
あと500文字入力できます
(以下未入力でも投稿できます)
お名前
削除キー
画像
テストページ で投稿のテストが出来ます。
使い方は 投稿について をご覧ください
2016.10.30 ID:167217
玄孫
2018年の大河ドラマの中で、海運業に就いていたことが描かれるかも知れませんね。
2016.06.11 ID:159697
有川 辰美
勝海舟やシーボルトとも交流があり、胡蝶丸の船長として、活躍をされていましたね。
アーネスト・サトウの記録にも載っていました。
2016.05.24 ID:158953
有川 辰美
墓所は、鹿児島市冷水町の興国寺墓地に有川家の墓所として、
奉られています。
2013.07.01 ID:125757
お悔やみ申し上げます
1908年10月03日に亡くなった人