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今井五介

いまい ごすけ
1859 - 1946
実業家
今井五介さんについて
江戸時代末の1859年(安政6年)、信濃国諏訪郡三沢村(明治以降は長野県諏訪郡川岸村)の豪農の家に生まれる。実父は1873年(明治6年)に諏訪郡川岸村(現在の岡谷市川岸)で座繰製糸を開始し、現在の片倉工業の実質的な創業者となった片倉市助で、五介は三男。市助の長男である初代片倉兼太郎は実兄で、市助の四男宗弘として生まれ、初代片倉兼太郎の養嗣子(家督相続権のある養子)となった二代目片倉兼太郎(片倉佐一)は実弟。
海外への留学などを経て、1877年(明治10年)に今井太郎の養嗣子となり、1890年(明治23年)には現在のイオンモール松本の敷地にあった松本片倉清水製糸所の初代工場長に就任。1895年(明治28年)に初代片倉兼太郎とともに片倉組を設立し、1904年(明治37年)に松本片倉清水製糸所は松本製糸場に改称。1909年(明治42年)には松本商工会議所初代会頭、および松本地域でいち早く発送電事業を開始した松本電燈の社長に就任し、合併を主導して経営再建に尽力した。1914年(大正3年)には現在のJR大糸線である信濃鉄道の社長となり、松本駅-信濃大町駅を結ぶ区間を開通させたほか、経営難におちいっていた私塾「松本戊戌学校」を支援し、「松本商業学校(現在の学校法人松商学園および松商学園高等学校)」として生まれ変わらせている。また、合資会社大日本一代交配蚕種普及団の初代団長に就任している。
1920年(大正9年)に片倉組を継ぐ形で設立された片倉製糸紡績株式会社の副社長に就任。さらに、大日本蚕糸会の会長、全国蚕糸業組合連合会の会長を務め、1930年(昭和5年)には松本製糸場の南に蚕業試験所を設立するなど、製糸業の発展に尽力した。1946年(昭和21年)没。
絹糸は明治期から大正期にかけての日本の主力輸出品であったことから、原料の繭を生み出す蚕の品種改良などにも取り組んでいて、病気に強く収量の多い繭を生産できる一代交雑種の作出に成功。合資会社大日本一代交配蚕種普及団の初代団長として一代交雑種の普及と養蚕農家の支援に力を注ぎ、「カタクラシルク」と呼ばれる高品質の絹糸の生産と輸出によって片倉組は世界有数の製糸会社に成長。片倉製糸紡績設立後は様々な事業に進出し、片倉財閥を形成する大企業となったが、戦後の財閥解体によって片倉財閥は解体され、片倉製糸紡績は片倉工業となっている。
松本市の蚕糸記念公園には、1928年(昭和3年)に建立された「蚕業革新発祥記念碑」がある。また、初代所長を務めた松本片倉清水製糸所(後の松本製糸場)の工場敷地内で大切に育てられていたクロマツの木は「五介の松」と呼ばれており、松本地域の製糸業の歴史を伝える存在として片倉工業から松本市に寄贈され、2015年(平成27年)5月に松本市島立にある「歴史の里」へ移植されている。
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