死去ネット

鈴鹿秀満

すずか ひでまろ
1797 - 1877
国学者
鈴鹿秀満さんへコメントする
あと500文字入力できます
(以下未入力でも投稿できます)
お名前
削除キー
画像
テストページ で投稿のテストが出来ます。
使い方は 投稿について をご覧ください
2017.10.08 ID:201696
武内宿祢の末裔
鈴鹿秀満様はきっと聖護院八ッ橋さんと何か所縁のある方ですね。

寛政九年生まれの鈴鹿秀満様は江戸後期から明治時代にかけての国学者でいらしゃいました。

備後(現在の広島県)神辺大明神の神職平佐帯刀の長男でいらしゃいました。国学と和歌を小寺清先様、清之様に学ばれた。文政十二年京都に行かれ、神道の吉田家で「日本書紀」を講じ、その功績で鈴鹿姓を与えられました。その後、吉田神道の神職を継がれました。明治十年十月八日に八十壱歳にて御逝去されました。字は魏祖、号は翠柳軒、柳舎、蛙遊でおられました。

素晴らしいですね。
2013.07.01 ID:117175
お悔やみ申し上げます
1877年10月08日に亡くなった人