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中根雪江

なかね せっこう
1807 - 1877
幕末の福井藩士 政治家
2021.01.19 ID:1185317
<晩年の中根雪江>
●晩年は福井県三国町宿浦で閉居します。友人の勝海舟と親交を深め、釣りを楽しみとしました。『再夢紀事』『丁卯(ていぼう)日記』『戊辰日記』『奉答紀事』など著作活動を行いました。
●明治10年10月3日、東京市麹町区1番地の岩佐病院において脚気症により71歳で死去しました。墓所は東京都品川区の海晏寺です。福井城近くの神明神社には、平成18年に設置された像があります。ご冥福をお祈りします。
2021.01.19 ID:1185295
 中根雪江は松平春嶽公の側用人でした。
文久3年には横井小楠・由利公正らと対立し蟄居を命じられます。明治維新では再び側用人となり、新政府の参与として活躍しました。
 平成29年1月、坂本龍馬直筆の書状が発見されました。福井藩の重臣・中根雪江に宛てた手紙でした。手紙の日付は龍馬暗殺の5日前です。松平春嶽公の上京を感謝し、福井藩士・由利公正を財政担当者として、新政府に出仕させるよう懇願していました。さらにその手紙では「新国家」という言葉が初めて使われていました。
 中根雪江は全国的にはあまり知られていません。しかし福井藩第一の家臣でした。幕末から明治維新に至る歴史の中で、重要な役割を果たしていたのです。あれから200年近く経過しました。過去の人々の苦労の数々を、私たちは決して忘れてはなりません。ご冥福を心からお祈りします。
 ID:110054
お悔やみ申し上げます
 ID:99580
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