まいり
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矢島尚

やじま ひさし
1943 - 2012
プラップジャパン会長
2021.01.11 ID:1178622
オザキです。
久しぶりにここに来れた。もうすぐ78歳だ。だんだん記憶が下がってここに来にくくなってきました。
健忘症だね。
ついに自分も本郷から転居した。住み慣れた本郷を。でもまだピンピンです。逆に老人には都心が住みにくくなったんだろう。たまのゴルフ、熱帯魚、音楽鑑賞が日常です。
旅立ちの準備か。オレ以外ここに投稿する人が増えりゃいいけど。とにかくオレからすれば矢島は急ぎ過ぎたと思う。
では

2019.08.02 ID:323489
オザキ ノリオ
矢島君、子どもの頃、君の家にはデカい蒸気機関車が飾ってあった。金属製だ。君からF-86 自衛隊戦闘機の写真をもらった。
数少ない、思い出だ。50くらいになって有楽町で晩飯をともにした・あれが記憶の最後だ。今更だが神戸の須田純子ちゃん、本郷の谷口由利子ちゃんが他界した。それでいい、それでいい。やむを得ない。また。
2019.03.22 ID:293001
尾崎律夫(75歳)
矢島君、もう6年以上経ったとのことだ。
何とか生きてる。しかし惰性で生きてる感じだ。
君が早くいなくなったものの世の中、大してかわりゃしない。
それはそれで悪くない。スローな世界がよりよく思う。
私もも少しこの世にいてやがて出発することになるだろう。

またいずれ逢おう。
2018.03.17 ID:228485
尾崎律夫
矢島君こんちわ。没後5年だって。プラップジャパンはまあ順調だ。歴史はどうなるか分かんないが。オレのほか杉田、渡辺、滝沢節子、照子、でたまに集まっては飲み会をやってます。こんどは6月に湯島でやろうということにしてる。谷口由利子が矢島の後を追ってった。こうしてだんだん減ってゆく。
小学校は閉校中さ。大横町は健在健在。時々、矢島の分も生きようと思う。変らないのは東大赤門のイチョウだ。大きくなって12月は見ごろになる。昔、同人誌を作ったね。その頃から出版に関わったんだ。小学生なのに。
2016.04.21 ID:157656
オザキ ノリオ
この5月でオレも満73歳となる。君と同年だ。考えてみるとこの3年で足腰が相当衰えてきた。3年前はゴルフだってバリバリに楽しめた。つまり何が言いたいかというと、君はいい時にこの世界に見切りを付けバイバイできた。どうにかその後オレだけが生き長らえてきたものの衰えは大きい。惰性とみなしていいのではないか。生き続ける価値が減少しているようだ。
統計的に長くてあと10年、それでオレもこの世とオサラバ。
君との6年間は短く生涯の数%だ。でも生きる希望の熱意に燃え、死とは別世界の充実した日々であった。
2016.01.24 ID:153303
オザキ
矢島君のまわりの人たちでさえ どこか順番のように一人づつここから去ってゆく この世界から。そしてあと100年もすればほぼすべてのひとがすべて入れ替わってしまう。太古から だから人は寂しいということはないのだ。
2016.01.08 ID:152416
オザキ
人は「あふれる命」と言う。またひとは「やる気スイッチON」とも言う。残念 矢島君が生きてるなら教えて貰いたかった。
静寂が必要だ。鼓動のみ聞こえてくるような静寂だ。
2015.12.29 ID:151787
オザキ
この日が丁度 満3年といわれてはいるけど自分はいきている
この世界が刻んでいることで3年という歳月を全くふさわしく
思いません。死ねば時刻の数え方は異次元方式つまりもし絵で表せば熊楠曼荼羅のように伸びチジミする数え方がふさわしいと思う。永遠に伸びた天体を想像してみよう。
2015.12.25 ID:151532
オザキ
もうすぐ亡後満3年だ。宇宙や地球はとまらず、回転しながら生き残った者に希望を与えている。それは錯覚だ。生きる者は己が生きることに必死でもはやキミのことを忘れようとしてるだろう。参墓はキミに近づくんだが、何故かひとはそれを許さないようだ。
2015.12.14 ID:150964
オザキ ノリオ
矢島尚君が亡くなって死んだ日をこの世界では「命日」と言っています。死んだ日であっても。 ある宗教では「人間は死んでもなお生き続ける」といいます。君は70歳からこそ人間の思索をするはづであった。矢島君的だった。命はこの世限りではないと人は言う。そうは想いたいけどやはり命はこの世限りであっても止むを得ないとも思う。迷う。
2015.12.12 ID:150865
オザキ ノリオ
矢島君が生きてきた時代を思い出す。
その時代にはテープレコーダーやレコード盤があった。その後時代の変化とともに消えた。歴史の1ページだ。君はその時代を生きた。そしてまた新年がまもなくやってくる。あたかも地球の歴史を教える本の頁を1枚めくるように。
2015.12.11 ID:150745
オザキ ノリオ
昔を思い出すと遊びにここへやって来ます。同級の丸高君が酒巻くんになって日大の教授理学博士になった。習志野に住んでいる。われらの境遇は元町小の卒業以後、運命の大海に放り出されて数奇な足跡で今日に至った。それぞれの足跡を風雪の重さというのだろう。
2015.11.29 ID:150183
オザキ ノリオ
また来ました。キシリトールも、タマちゃんも、二子玉川園も、今となっては街の現象だった。そのことにちょっと振り向かせたのが矢島君だ。しかし宇宙的視野で考えると大自然の流れはなにも特別視してくれなかったといえる。
70歳を境に同窓会に来たのは7人だった。そんなわけで君は早く去った訳ではない。これまで生きた思い出の碑を残したことで満足しなきゃ。
2015.11.28 ID:150142
オザキ ノリオ
他人事でない脳梗塞、私も矢島君と同年。私も脳梗塞に罹ってしまいました。この6年間で4回緊急入院しました。でもこの世界に未練があるのか、まだ何とか命がつながっています。人も動物も生死は大自然に従うこと、だけだと思います。
そう遠うからず自然に従ってそのうち再開しましょう。
2015.10.31 ID:148595
oz
矢島君、オザキです。矢島君の自宅だった場所は大横町。そこは今東洋女子短大の庭地になっている。当時住まいに行くと大型の金属製模型電車があった。親父さんおふくろさん矢島のおねーちゃんもいた。
2015.10.28 ID:148467
尾崎 律夫
矢島君、尾崎です。元町小の同級生尾崎です。当時小学校の
夏季林間学校で松戸の先にあった柏学園に泊まり相撲をして遊んだこと。一度も矢島に勝てなかった。卒業時、文集を作ったりした。最後に会ったのは有楽町で夕食した。6年前だ。
 ID:75152
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