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津田恒実

つだ つねみ
1960 - 1993
プロ野球選手 広島東洋カープ投手
津田恒実さんについて
ドラフト会議で広島東洋カープに1位指名され入団。入団当初から古葉竹識監督も大きな期待を寄せていた。1年目の1982年に先発投手として11勝6敗の成績を残し、球団初の新人王に輝く。しかし2年目の後半戦以降は、ルーズショルダーや中指の血行障害などに悩まされ、登板機会が激減。
その後、血行障害を治すため、世界初となる中指の靭帯を摘出する手術を受ける。1985年に「恒美」から「恒実」へと改名。1986年に抑え投手として復活し、前半戦を防御率0点台で折り返す。後半戦からは調子を落としたものの、チーム5度目のリーグ制覇に大きく貢献、シーズン終了後にカムバック賞を獲得した。1987年にも防御率1点台を残す活躍を見せたが、1988年は肩痛などが遠因してリリーフ失敗を繰り返すなど9敗を喫し「サヨナラの津田」とも揶揄された。しかし、翌1989年に防御率1.63、12勝5敗28セーブを挙げる活躍で最優秀救援投手、ファイアマン賞に輝き、再び復活を遂げる。闘志をむき出しに最速153km/hの剛速球と縦横の鋭いカーブを武器に相手打者に敢然と立ち向かう姿は、「炎のストッパー」と形容された。
1990年、右肩や右膝の故障のためにわずか4試合の登板に終わると、同年のシーズン終了後から頭痛をはじめとする身体の変調を訴えるようになる。1991年、前年から続く体調不良を抱えたまま開幕を迎え、4月14日に無理を押して広島市民球場(当時)で行われた読売ジャイアンツ戦で、1点リードの8回表に先発した北別府学の後を受けて登板するが、無死二塁・三塁のピンチを招き、原辰徳に同点適時打を打たれるなど大乱調のためわずか9球で降板となり、敗戦投手となる。これが自身の生涯最後の登板となった。
普通の頭痛だと思って放置したものの、長らく治まらなかったこともあり、この試合の翌日、広島大学病院に検査入院。精密検査の結果、手術で摘出できない位置に悪性の脳腫瘍があることが判明。このとき、本人は告知を受けていたが、球団は周囲の動揺を避けるため本当の病名を伏せ「水頭症のため引退」と発表、5月20日に準支配下登録選手とした。闘病生活に入り、自宅や実家での療養を経て済生会福岡総合病院へ転院。その後本人の意思により退団届を提出、11月6日付で受理され現役を引退。一時は奇跡的な回復を見せ、退院後は福岡市内で借家住まいをした。現役復帰に向けたトレーニングも行うようになったが、1992年6月頃を境に再び病状が悪化、八代にあった夫人の実家に身を寄せた後8月20日に済生会福岡総合病院へ再入院。1993年7月20日14時45分に同病院において32歳の短い人生を閉じた。
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2017.11.20 ID:208056
先日、爆報に御子息VTR出演されてました。『父のファンの方々の為に、津田恒実記念館を作ります‼︎』と、おっしゃっていました。今、自転車日本一周真っ最中です。御子息の健康と安全護って下さい(-人-)
2017.10.02 ID:200796
広島カープが連覇しました
2017.09.06 ID:197781
南無阿弥陀仏
2017.08.05 ID:192683
亡くなって24年になるんですね32歳で短い生涯でしたがいいプロ野球生活と悔いが残る部分があったと思います、天国からプロ野球界を見守って下さい。
2017.08.03 ID:192249
津田さんが亡くなられたのは、オールスターゲームの日でしたね。お姿は見えなくても、きっと貴方は球場にいらっしゃいました。今でも泣けてきそうです。炎のストッパーよ永遠に!
2017.08.03 ID:192223
名投手
2017.04.28 ID:181888
野球選手としての復活は無理でも、生きていて欲しかった。
貴方の技術そして魂を後輩に引き継いでいって欲しかったです。しかし、貴方の功績はこれからも野球史の中で語り継がれていくことでしょう。津田さんありがとうございました。
2017.04.27 ID:181769
ツネゴン、去年の優勝見とったか。
中崎がお前のような守護神になれるようにパワーを送ってください。
2017.01.05 ID:170864
2016年、カープリーグ優勝しましたね。これも津田さんのおかげなのでしょうか?
2016.09.02 ID:163757
津田さん、カープが今年優勝しそうです。パワーを送ってください。
2013.07.01 ID:58890
お悔やみ申し上げます
1993年07月20日に亡くなった人