インドの法学者、裁判官。ベンガル州出身。苦学して数学と法学を学び、ベンガル高等裁判所判事、カルカッタ大学総長などを歴任。1946年、極東国際軍事裁判(=東京裁判)の判事として来日。判決時に反対意見書(『パール判決書』)を提出して、戦争は国際法上の犯罪ではないとし、被告人全員の無罪を主張した。ただし、彼の法律論は、戦争の犯罪性が未確立の状況で戦勝国が敗戦国の指導者を一方的に裁くことに反対したものであり、彼自身「宣伝と誇張があることを斟酌してもなお、日本軍が占領した地域の民衆に対して犯した残虐行為は、圧倒的な証拠によって裏付けられている。捕虜への仕打ちも極悪な残虐さだ」として、南京事件(=南京大虐殺)及びバターン死の行進などの日本軍による犯罪行為その物は存在したと判断しており、単純に日本が「無罪」だと主張したわけではない。のち、国際連合司法委員会議長などを務めた。
ラダ・ビノード・パール - Wikipedia