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市丸利之助

いちまる りのすけ
1891 - 1945
軍人 海軍硫黄島指揮官 
市丸利之助さんについて
海軍兵学校41期生 最終階級 海軍中将
佐賀県松浦軍出身
S.5年、予科練を設立 初代部長で航空搭乗員の育成に貢献した。
S.19年、硫黄島航空部隊司令で着任、戦死直前に米大統領、ルーズベルトに抗議の手紙を送る。米側の理非道を正す内容で、日米で保存されている。S.20.3.26日に不明戦死となる。
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2018.07.09 ID:245091
慰霊の為に硫黄島に行きたいです。
平和になった今、日本の兵隊さんと米兵の両者の為に慰霊に行きたいです。日本の兵隊さん達の遺骨収集は未だ完了せず。
残念至極です。
2018.07.09 ID:245050
死傷者の数は米軍が日本軍を上回りました。
見事な戦い振りでした。
世界最強の日本の兵隊さん達、日本国と日本国民を護るために戦っていただき、有難うございました。
2018.07.08 ID:244945
有難うございました。
合掌。
2018.07.08 ID:244898
米軍が日本軍に負けるかもしれないと恐怖した硫黄島。
一般国民も慰霊に行けるようにならないでしょうか。
2018.07.08 ID:244879
硫黄島の戦いは米国では特に有名ですね。アーリントン国立墓地には硫黄島の星条旗の銅像があります。
日本の兵隊さん、本当に有難うございました。
2018.07.08 ID:244844
皆さんの勇猛果敢な奮戦振りは映画やドラマを通じて、日本だけではなく世界的にも有名になりました。本当にありがとうございました。
2018.07.07 ID:244831
硫黄島の擂鉢山に翻った星条旗を二度も引き摺り下ろし、一度目は鮮やかな日の丸を、二度目は血染めの日の丸を掲げた日本の兵隊さん達、天晴れでございました。この逸話を思い出すたびに、涙を禁じえません。合掌。
2018.07.07 ID:244814
ルーズベルト大統領に告ぐ。日本語と英語で書かれ、市丸少将の戦死後、米兵が見つけ、確か米国の陸軍士官学校か、どこかに今でも展示されているはずです。マッカーサーの証言どおり、大東亜戦争は大日本帝国の自衛戦争だったと米国の知識層は認識しているでしょう。日本の兵隊さん達、本当に有難うございました。
2018.07.07 ID:244796
日本国と日本国民の為に戦っていただき、ありがとうございました。硫黄島に眠る兵隊さん達の一刻も早い遺骨収集を切望します。
2018.07.07 ID:244773
貴方のルーズベルト大統領に対する手紙の内容はとても素晴らしく思いました、日本は自らの意思で日清、日露、第一次世界大戦に参加したわけでわないという言葉にすごく感心しました。
そして手紙の中に書き残された日本は天皇の天業を翼賛しようとし東アジアの植民地解放の戦争だったということに心が躍らされました、私は大日本帝国が理由もなく戦争を絶対にしない国だと信じていました。
私は歴史が好きな事を理由に大日本帝国はかっこいいななど思っていました、だけど貴方の手紙の中に書かれていた内容を耳にし大変大日本帝国に興味を持ちました。
もし貴方がいなければ私は歴史にも大日本帝国の正しい知識もないままでした今の日本は平和といえるほど平和ではありません貴方の手紙の中にあった恒久的平和も今は失われようとしています。
最期に貴方に一言残します
大日本帝国海軍 市丸 利之助 少将
貴方の不屈の精神そして自らの死をもってこの手紙を書き残し貴方は硫黄島の戦いにてその生涯を迎えると同時に手紙は貴方の死に報いる形になりましたがしっかりと貴方は手紙で世間に報い不安定ながら世間は平和です。
お疲れ様そしてお休みなさい。
2016.02.09 ID:154130
「市丸利之助」平川祐弘氏 著 を拝読して、市丸閣下の不屈の努力、精神と和歌を愛した優しい心に深く感じいりました。本当にすばらしい人格者でした。
         どうぞ安らかに  藤沼
2013.07.01 ID:37650
お悔やみ申し上げます
1945年03月26日に亡くなった人