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黒木博司

くろき ひろし
1921 - 1944
海軍軍人
黒木博司さんについて
岐阜県下呂市出身。海軍機関学校51期卒。太平洋戦争末期、仁科関夫中尉とともに人間魚雷「回天」を創案し、自らも搭乗して訓練中の事故で殉職した。最終階級は海軍少佐。
2022.11.18 ID:1434448
黒木先生。本日は先生が深く慕われておられました。平泉澄先生が宮司であられました越前国、勝山市、白山平泉寺をお参りしました。御祭神は伊弉冉尊。正に日本の守り神であらせられます。私も残りの人生。すべて日本国に捧げ奉ります。心底幸せであります。杉木立落ち葉舞い散る参拝よ。拝礼。
2022.09.07 ID:1421242
野元政之
黒木博司少佐様
数日前に知人より、黒木少佐様の事を知りました。
日本を救う強い想いの中殉職されたと伺いました。
黒木少佐はじめ、若き軍人の皆様のおかげで、平和にくらせておりました。ありがとうございます。
今、再び日本と世界が危機に直面しております。
残りの人生を、日本の為に、捧げたいとおもいます。
どうか見守りください。黒木少佐と共に、日本と世界の為に力を尽くします。
2022.05.02 ID:1333910
椿咲く英霊御霊鎮まりて。
合掌。
2022.04.14 ID:1330355
黒木博司海軍少佐は必ずや慈悲深い笑顔で平和を愛する大日本帝国海軍将校でありました。
令和の御代。
世界に日本に人間同士の調和により永遠の平和が訪れますよう、御加護をお願い致します。
合掌。
2022.04.02 ID:1327689
生誕百年記念。海軍少佐黒木博司生誕之地の石碑を訪ねております。碑文、少佐は大正十年、次男として生まれ、十八歳で海軍機関学校へと進学。東京帝国大学教授の教えを受け、国を思う気持ち篤く、戦時下にあって戦いの前途を深く憂い、戦局を一気に打開すべく酸素魚雷改装の水中特攻兵器之開発に没頭。昭和十九年、回天と命名された一号機に搭乗訓練中、九月七日未明殉職。下呂に生まれ国家護持に一命を捧げた少佐の志が、子々孫々故郷の人々に継承されることを祈念する。金沢工業大学教授。
本日。令和三年九月十一日に石碑建立の旨、石碑建立者の御遺族より教えていただき、初めて現地を訪ねました。
場所は下呂市湯之島の昭和三十年代頃まで、映画館があった場所付近と教えて頂きました。
黒木博司少佐を尊敬しております。
ありがとうございます。
合掌。
2021.06.23 ID:1264079
moonbow 月虹
黒木博司少佐様へ
 貴男様は、ご自身の青春と人生の全てを祖国日本の民と未来の為に、捧げ尽くして下さいました。深く感謝申し上げます。
 私は亡き父が、貴男様の同志である仁科関夫少佐の
旧制天王寺中学校の一年後輩でしたので、仁科様の伝説を聴いて育ちました。回天のことを調べていて、貴男様のことを知りました。今の祖国があるのも、全て
貴男様方が生命と人生を惜しみなく捧げて下さったおかげと、解っております。本当にありがとうございました。永遠に安らかにお眠り下さいませ。
2020.09.07 ID:1087051
黒木少佐を尊敬しています。
2020.04.13 ID:572375
故郷下呂市の為に頑張っていただき、ありがとうございました。わたしは、今、仕事以外は、不要不急の外出をせず、家にいます。この連休前には下呂温泉のホテルにお客様が戻りますように。合掌。
2020.03.20 ID:392296
ああ黒木博司少佐という本を何度か読みました。昨日は晴天のもと、丘の上の岐阜県立下呂温泉病院に隣接する、回天烈士の御魂が鎮まる、神社、下呂楠公社を参拝させていただきました。黒木博司海軍少佐の筆の回天の碑、回天烈士の御名前の石碑、碑・回天模型図を拝見いたしました。晴天下、青き松の木の下に、魂は鎮まります。隣接する平和の塔からは、眼下に黒木博司海軍少佐の故郷、山紫水明の下呂温泉の街並みが一望できました。日本は美しい。何年も前、益田郡の合併で下呂市が発足した年に、昭和天皇が萩原町での全国植樹祭で下呂温泉に宿泊されました。下呂市役所下呂庁舎で日の丸の小旗を振り、国道41号沿道で歓迎、飛騨萩原駅から両陛下をお見送り。御日程に下呂楠公社への両陛下の参拝のご予定はございませんでしたが、ずいぶん前ですが、私は靖国神社を参拝させていただきました。その時、境内で賜った、境内の椿のタネから発芽した、小さな椿の苗は、私の自宅の前庭で、幾つもの大きな美しい紅い花を咲かせております。いつの日か、大きな木となりますように。本日は御彼岸、春分の日、祝日です。昭和19年、9月、夕刻、徳山湾、波高し。合掌。
2020.03.18 ID:391851
曹洞宗の修証義の和顔愛語が好きです。
2020.03.18 ID:391641
黒木海軍少佐の魂は花園法皇が開基の臨済宗妙心寺派の下呂市の禅昌寺と同派の下呂温泉にある温泉寺の近くで鎮まっておみえです。
曹洞宗の教典の修正義には和顔愛語には「廻天」の神通力が宿ると記されています。
少佐に心暖まる体験をお話しします。
通勤時、道の駅に寄ると、障がい者の少年に若いお母さんが寄り添って、多目的トイレが開くのを外で待っておられました。
こちらにも男子トイレはありますよ、と案内して差し上げようとしました。
その時、多目的トイレが空きました。
私が少年にバイバイと笑顔で手を振ると、少年も手を振ってくださいました、笑顔の美しい母上様に支えられ。
黒木海軍少佐が護ってくださった、日本国で、私は障がい者の方々を友として生きます。
和顔愛語で生きます。
合掌。
2020.03.16 ID:391099
黒木海軍少佐の生涯は「ああ黒木少佐」という本で読みました。亡くなる前に母校の岐阜県の下呂小学校の東上田分教場の主任である恩師を訪ねられ、「もうこれで思い残すことはない。」と徳山湾で訓練中の事故で亡くなられました。遺書は昭和天皇も見られました。今の日本の平和は、昭和天皇のポツダム宣言受諾の英断の賜物です。昭和天皇が「もうこれ以上国民を苦しめたくはない。」と思われた心の中に、黒木海軍少佐の「尊皇即ち殉皇」の心で大日本帝国の幸せのために尽くした行動が、遺書を通して、昭和天皇に伝わったと思います。黒木海軍少佐の菩提寺の臨済宗妙心寺派の下呂市の禅昌寺の円通閣の扁額は西郷隆盛が明治大帝の教育係に任命した剣禅一如の慈悲心の山岡鉄舟の書です。その慈悲心は、近代天皇三代を経て昭和天皇に伝導されたと思います。黒木海軍少佐の御霊よ安らかに。私は日本国憲法を護り生きます。日本国憲法改定は在日米軍の撤退の後でのみ意義があります。黒木海軍少佐に敬礼。
2019.11.22 ID:347994
75年75日前に、黒木さんと樋口さんは徳山の海で殉職されました。敗色濃い日本を救うため、猛訓練をされていた中での殉職でした。どれほど無念だった事でしょう。このような頭脳明晰で優しい青年達が、次々と壮絶な死をむかえました。日本の今の平和は、彼らの犠牲無くして語れません。どうかその魂が安らかであらんことを。
2019.09.07 ID:330771
黒木さん…今日は75回目の命日ですね。朝方6時過ぎに樋口さんと共に霊界に行かれたのでしょうか…さぞかし回天で突入できず無念だったと思います。しかし、黒木さん樋口さん亡きあと、仁科さんを先頭に
回天隊の皆様は一丸となって猛訓練に励み…地獄の大津島とも言われましたよ。そしてご存知のように、第1陣の出撃は11月8日の菊水隊。
パラオ、ウルシーで11月20日黎明に突入されました。
仁科さんは黒木さんの遺骨と黒木さんの遺影を左手にもち…怒髪天を突く勢いで…仁科さんは黒木さん亡きあと、回天の鬼と化し、念頭他事なし…回天で突入し、日本を救うことしか考えていないようでした。
本当に黒木さん樋口さんをはじめとして、回天の英霊の皆様に哀悼の誠をお捧げ致します。有難うございます。
2019.02.17 ID:284398
お悔やみ申し上げます。
 ID:36676
お悔やみ申し上げます
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