死去ネット

小柳津要人

おやいづ かなめ
1844 - 1922
岡崎藩
小柳津要人さんへコメントする
あと500文字入力できます
(以下未入力でも投稿できます)
お名前
削除キー
画像
テストページ で投稿のテストが出来ます。
使い方は 投稿について をご覧ください
2017.04.08 ID:179858
小柳津さん


青山の桜が満開になりましたね。

またこうしてお参りさせていただくことができ
とても嬉しく思います。

お持ちしました『学鐙』創刊120周年記念号。

小柳津さんと宗吾さんには、
どのようにうつりましたでしょうか。

今回の和菓子いろいろは、
いつもの「虎屋」さんではなく
大鳥圭介さんが最後に居を構えた、
旧麻布三河台の「狸だんご」さんのもの。

少しでも気持ちが伝われば嬉しいです。

昨年、佐吉さんのご子息、そして生きていた
時代の祖父を知る、丸善関係者のご家族と
連絡を取ることができました。

なにもかも淑子さんの手がけた
『小柳津要人追遠』のおかげです。

宗吾さんの長年の願いを叶え、
後世へと小柳津さんの勇姿を遺した、
淑子さんの功績はあまりにも大きいです。

小柳津さん、宗吾さん。

そして淑子さんという、
素晴らしい女性がいらしたこと。

小柳津の血をひく方々の中で
大切に語り継がれていくことを
強く願っています。


康恵より
2016.12.25 ID:170139
小柳津さん

若き日の小柳津さんの足跡を訪ねる旅の最中、
会津若松付近で1枚の絵画に出合いました。

なぜか私の心を強く強く惹くその絵が気になり
描いた画伯のことを調べ、あれこれ辿った結果
かつて長く『学鐙』の編集長をしていた方と
祖父との深い繋がりがわかりました。

クリスマス・イヴの昨日、その方のご家族から
あたたかいお手紙を頂戴しました。

小柳津さんのことを調べることで
次々に見えてくる、不思議な出来事。

人と人とは、どんなに時代を超えても
不思議な縁や深い愛情で繋がっているものなのだと
教えられた気がします。

なによりのクリスマスプレゼントをありがとう。

白髭の小柳津さん。
今日はあなたが私のサンタクロースです。

私と小柳津さんの人生は
決してまじわることはなくも
遠い遠い家族の時代から
こうして見えない絆でずっとずっと
繋がっていることを忘れません。

本当にありがとう。

康恵より



2016.10.16 ID:166357

小柳津さん

明日は
宗吾さんのお命日ですね。

旅立ちからちょうど40年。

大切なこの日を
かわいいお花たちに囲まれて
あたたかくお迎えいただければと思い
本日廟所にお伺いしました。

小柳津さんが箱館の地で
生き抜いて下さったことで
その後の私たち家族の歴史が刻まれ
現代の世を生きる「私」という
存在に繋がりました。

鷲の木で吉永さんと一緒に
亡くなっていたならば
少しずつその運命は変化し
私は生まれていなかったと思います。

人生とは不思議なものですね。

小柳津さんへの深い感謝の気持ちとともに
清彦と同じ時代を生き、
丸善にその人生を捧げた
優しい宗吾さんに
心からの敬意を表します。

小柳津さん、宗吾さん
ありがとう。

康恵
2016.08.14 ID:162795
小柳津さん

会津若松・長命寺にある
145人の会津藩士の墓所に行き
お線香を手向けて参りました。

先月7月のお盆時期に、飯盛山と鶴ヶ城に

そして地方のお盆時期となるこの時に
会津に行くことになったこの偶然を
とても不思議に思います。

福島・只見町で
和平のため尽力しながらも
志半ばで絶命した長岡藩士
河井継之助氏の存在を知りました。

この地で彼を看取った、外山修造氏は
小柳津さんと同時期の慶應義塾生だったのですね。

彼らの主君、長岡藩主・牧野忠恭公は、
我等の主君・大給松平公のご兄弟。

また負傷した河井継之助氏を看取った奥医師
松本良順は、私の古い家族で代々医師だった
人間のお師匠様。

そして小柳津さんのポートレイトの
撮影者は、会津鶴ヶ城にてご家族の多くが自害された
会津藩・ご家老、西郷頼母の義弟。

全てに繋がる不思議な縁。

慶應4年9月初旬、たった1人で福島へ探索に
出かけた勇気ある小柳津さん。

あなたが見た福島は、
どんな景色だったのでしょうか。

これからも言葉なく教えてくれる数々の偶然を胸に
あなたの人生の軌跡を辿っていきます。

康恵
2016.06.21 ID:160069
小柳津さん

「請西の人たちが
(お墓参りに)きてくれたけど
すぐに帰ってしまったよ」と
昨日夢の中で嬉しそうに仰って
いましたね。

箱根で亡くなった
請西藩士たちのため、
供養塔を有志で建てたのは
小柳津さんを筆頭に、わずか3人。

今でもその感謝を忘れずにいて、
お命日前日の昨日
青山まできてくれたのでしょうか。

なんとも
不思議な夢でした。

旧幕府軍の中でも
大変辛い人生の後半戦を送る
ことになった、
請西藩主 林昌之助忠崇公。

請西藩家臣団の人たちの存在も
きっと戊辰戦争後は
すっかり忘れ去られていたのでしょう。

そうした人の存在を忘れず
供養のため、奔走した心優しく
忠義心に厚い小柳津さんを
私は心の底から尊敬し

小柳津家と我が家が
江戸時代から親しい間柄だったことを
大変誇りに思います。

今月も無事廟所に
お参りさせて
いただきまして
ありがとうございました。

お墓参りの最中、どこからともなく
飛んできた大きな蝶が
フワッと私の肩にとまりました。

またも不思議な体験です。

康恵















2016.06.04 ID:159410
小柳津さん

昨日は我が一族が最後にお仕え
した藩主・乗秩様のお命日と
いうこともあり、菩提寺に
お参りにいきました。

6年前、このお寺に初めて
足を運んだ時、大変に優しく
出迎えて下さり、古い時代の
ご先祖を大切にすることは
とても素晴らしいことだと
お褒め下さった方の父上様が
あの大樹寺さんの数代前の
ご住職だと知り 言葉を失いました。

「厭離穢土 欣求浄土」

先日大樹寺さんでいただいた御朱印に
記されたこの家康公 所縁の言葉が
このお寺にも掛け軸として
飾られておりました。

岡崎の小学生は
全員暗記させられる言葉とのこと。

幼い頃の清彦もこの言葉を
口ずさんだのでしょうか。

不思議な出逢いを次々に与え、
先人との所縁ある繋がりを
教えてくれるのはなぜなのですか。

ご縁というものが本当に
この世にあり 同じ時代を生きずとも
先祖とは必ずどこかで繋がっている
のだと痛感せざるを得ません。

厭離穢土 欣求浄土
君も使命感を持って生きなさい
そんなメッセージなのでしょうか。

康恵








2016.05.24 ID:158948
小柳津さん

土曜日にお供えした百合のお花は
まだ枯れていないでしょうか?

カサブランカの仲間で
シベリアという種類のお花。

威厳があり、美しく
大変に上品で……

淑子さんはきっと
このお花のような方でいらしたのかも
しれないですね。

小柳津の家を何とか守るため
数々のことに尽力した淑子さんは
本当に立派な方だと思います。

小柳津さん。

頑張って生きた淑子さんを
どうか抱きしめてあげて下さい。

ご家族の方が会いにきて下さるよう
お祈りしております。

康恵














2016.05.05 ID:158165
小柳津さん

岡崎の街には、城あれど
本多岡崎藩士たちの史実は
殆ど残されておらず
大変に驚き悲しく思いました。

明治の世になっても
郷里を忘れず
カクキューさんのため
東奔西走したことや
図書館開設のために
多くの書物を寄贈したこと。

時代が変わってもずっと
藩士仲間との繋がりを
大切にしていたこと…….

激変する時代に、どう気持ちを
切り替え 前向きに努力し
生きたかが大切なのに
脱藩したという記載しかない。

城に来る岡崎の子どもたちに
この町には
「小柳津要人」という時代の波にも
負けず、仲間を大切にしながら
力強く新しい時代を生き抜いた
素晴らしい人物がいたということを
何とか知ってもらいたい
私はそう思います。

「心を起こそうと思わば
まず身を起こせ」(藤村×ニーチェ)

馬籠宿で出合ったこの言葉
に従い、 私は小柳津さんの
功績を史実として後世に、
岡崎城内にしっかり残せるように
これから動き出します。

康恵


2016.04.30 ID:157978
小柳津さん

ついにこの日がまいりました。

先人たちが愛し過ごした
歴史深き三河での時間を、
皆の生きた人生と
その故郷とをしっかりこの目で
見つめ、心で感じてきます。

もちろんあなたの
ポートレイトも一緒です。

私も淑子さんのように
自分のご先祖のために
この家最後の人間として
立派なアンカーマンを
つとめたいと思います。

小柳津さん、
いざ出立です。

康恵








2016.04.28 ID:157906
小柳津さん

おはようございます。

私の仲間となる岡崎藩士らしき方へ
昨日お手紙を出しました。

「岡崎藩士分限帳」に記載のない
藩士たちの名誉のため

「惣まくり」を糧に
大変な時代を生きた仲間として
その名を後世にきちんと残すため
私が一歩を踏み出しました。

小柳津さんが私に伝えたかったのは
六三さんのことだったのですね。

師匠であるあの方と六三さんのため
亡くなるまで月命日に
千駄木から青山墓所に
いらしていたのだと
やっとわかりました。

生まれた場所、学び舎、仕事、住居。
いままで選択の余地なく
この道を歩んできましたが

その全てが小柳津さんの人生や恩人と
ぴったり重なることが
はっきりとわかり、怖くなりました。

「全ての道はローマに通ず」
ならぬ「全ての道は小柳津に通ず」

私は更に感謝して生きなければ
いけないと思いました。

師匠と六三さんの所には
私が代わりにお参りしてきますから
もう心配しないでね。

小柳津さん いつも
不思議体験 ありがとう。

康恵













2016.04.23 ID:157710
小柳津さん

岡崎出発まで
あと1週間という昨日。

ついに岡崎藩士の末裔らしき
人を発見しました。

かつて小柳津さんたちと
図書館開設に向け尽力、
郷土の歴史研究に
その人生の全てを捧げた
柴田顕正氏。

この方はまるで
現代を生きる同氏のように
後世に岡崎の歴史をなんとか遺そうと
東奔西走していらっしゃいます。

まさに「彰往考来」

こんな立派な志の方が
岡崎にはまだいらっしゃいます。

この方のように何らかの
情報発信をしていくことが
編集者・記者であった
私の目標ではありますが

まずは小柳津さんのように
自分の書籍を岡崎中央図書館に
寄贈するなど、できることから
岡崎に貢献していきたいと
思っています。

小柳津さん
いつも勇気をありがとう。

時の流れとともに
みんなが小柳津さんを忘れても
私だけはいつも忘れないよ。

小柳津さんは私のこの心に
ずっと生き続けています。

康恵






















2016.04.20 ID:157614
小柳津さん

今日もありがとう。

かわいいお花さんたちが、日曜日の強風で
吹き飛ばされてしまったかもしれないと
心配になり、また足が向いてしまいました。

夢に出てきた小柳津さんは
お墓を拝む後ろ姿だったけど
「私はこうして亡くなるまでずっと
月命日に足を運んだものだよ」と言っていましたね。

どなたの月命日だったのか
気になるところです。

明日は、小柳津さんと邦太さんの月命日。

綺麗なお花さんたちと一緒にあたたかく
お迎え下さい。

康恵









2016.04.16 ID:157440
小柳津さん






おうちに無事帰って参りました。

今日のお花は
トルコ桔梗、ピンポンマム、
ひまわりです。

バードガーデンさんで
自宅用のものも
用意してもらい
いまいけたところです。

淑子さんのお孫さん
もしも生きていらしたら
私と同い年なのですね。

驚きました。

きっとこんな風に
お墓にきてくれたと思います。

私も淑子さんと同じ、
長く続く武家の末裔なので
なんとか伝統ある家を守ろうと
全力投球したまっすぐなお気持ちが
痛いほどわかります。

大変なことを乗り越え
宗吾さんを大切にし
一生懸命生きた淑子さんの心に
私は寄り添いたいと思います。

康恵



















2016.04.12 ID:157298
小柳津さん



今日は清彦が
丸善に入社した日ですね。

暖かな陽射しとは裏腹に
不安な気持ちいっぱいで
ただただ小柳津さんだけを頼りに
日本橋へと向かったと思います。

自らの人生を選ぶ上で
他言できない複雑な気持ちを
胸に1人抱きながら
負けじ魂で生きていたのかも
しれないと、最近になって
そんな風に思い、涙が出ました。

清彦には旧岡崎藩士の
鷹部屋福平さんという
親友がいたことを知りました。
小学生から 亡くなるまで
親しくしていたようです。

工学博士でありながら
テニスや水墨画が得意だった
上品で多彩な彼が

日本橋丸善画廊で
個展を開いたのも
清彦の発案だったと思います。

「知友人を大切にするところ」
「信義を重んじるところ」

私が小柳津さんと清彦から
学んだことです。

自由に学ぶことができること
人生選択ができること
そんな時代に生まれたことに
深く感謝し 邁進していきます。

小柳津さん これからも
見守っていてね。

康恵









2016.04.07 ID:157059
日本橋通二丁目
還暦を迎えた桜さんたち

日本橋丸善とともに
頑張って生きています。

2016.04.06 正午撮影


2016.04.02 ID:156819
小柳津さん





桜の花が
満開になりました。

丸善の社屋から東京駅に
向かう道は、昭和31年に
沢山の桜の木が植樹され
「さくら通り」と
名付けられたようです。

この桜さんたちが
赤ちゃんだった頃は、
清彦や四良さん、司さん、
八木さん、宗吾さん、
父や多田実さん
皆さんが
昔の社屋にいらしたかと
思うと ちょっとだけ
その働く勇姿をみてみたい
そんな気がします。

先日私の手元にやってきた
丸善社員アルバムが
1956年(昭和31年)撮影のものだと
いまふと気づきました。

宗吾さんは38歳の写真しか
みたことがなかったので
1番驚きました。

とても品位があり
お優しそうで本当に素敵。
さすが、小柳津Jr.です。

今年でちょうど
60年前なのですね。

還暦を迎えたさくら通りの
桜さんたちも丸善も
ずっとずっと元気でいて欲しい。

切なる願いです。

4年前に撮影した、
美しい丸善の夜桜を
大好きな小柳津さんに。

康恵より


















2016.03.31 ID:156694
小柳津さん

今日は清彦のお命日です。

遠い明治のあの日
小柳津さんと美喜が
決めた丸善入社という道。

清彦は亡くなるその日まで
2人の志をしっかりと守り
丸善にその人生を捧げました。

主君に忠実に、仲間を大切に
贅沢を慎み 堅実に生きる--

彼がその76年の人生の中で
貫いた姿勢は
まさに、三河武士そのものです。

小柳津さんが人生の指針を
与えて下さったことで
清彦は素晴らしい仲間とともに
その生涯を過ごすことができた、
私はそう思っています。

美喜や清彦が信条にした
「三河魂」を
「小柳津スピリッツ」を
私も生涯の糧とし、
これから更に一生懸命
生きていく努力をしてまいります。

今日は清彦が生前愛した
赤坂の秘密基地でゆっくり
ちょっと贅沢にお食事をした後
夜桜を鑑賞する予定です。

小柳津さんも是非ご同席下さいませ。

康恵より





2016.03.16 ID:155924
小柳津さん

おはようございます。
すっかり春らしい季節になりましたね。

昨日「M」の色々を私の手元に
持ち帰ってきました。

大正初期に撮影されたであろう、
社員の全体写真には
晩年の小柳津さんと若き日の清彦が
写っていました。

「先人たちが深く愛し、
1歩ずつ築いてきた歴史ある丸善を
なんとか今後も守りたいものだねぇ」

大正7年生まれ。
今年で98歳となる、新海竹太郎先生作の梟さんが
毎朝私にそう話しかけてきます。

これまで広告や編集・記者と好きなことを
させてもらい、生きてきました。

これからは、丸善や祖先の故郷・岡崎のために
いまの自分になにができるのかを考え
しっかりと行動したいと思っています。

小柳津さん
今日も1日よろしくお願いいたします。

康恵







2016.03.13 ID:155764
小柳津さん

清彦の遺した手帖の友人欄に
「塚原周吾」という
お名前を見つけました。

同氏のお父上・塚原周造氏は、
箱館・五稜郭に散った
浦賀与力・中島三郎助氏の意志を継ぎ
榎本武揚公、荒井郁之助公と3人で
浦賀ドックを作った人物。

なぜ清彦とそのご子息が
友人だったのか
とても気になります。

私は昔からずっとずっと
前向きで勇気溢れる
中島三郎助が大好きで。

まさか若き日の
小柳津さんが
同じ時間・同じ場所で
大好きなあの三郎助と
一緒に戦っていたなんて
本当にいまでも信じられません。

周りに歴史がわかる人がいないから
小柳津さんがどんなに凄いのかを
誰とも共感できず、本当に残念です。

4年位前から
日々出合うものや出合うことが不思議と
全て榎本武揚公や戊辰戦争に繋がり
最終的に必ず小柳津さんに
いきついてしまいます。

毎日が不思議の連続。

なにか私に伝えたいことが
あるのかな。大丈夫?

青山からどこか遠くへ
行かないでね。

また会いに行きたいから。

康恵












2016.03.09 ID:155551
小柳津さん

今日は高祖父・鼎のお命日です。
明治42年サンキューの日に
岡崎石屋町から旅立ちました。

昨日、高祖父母そして3月が
お命日の祖父母のため
とある歴史ある遠いお寺に
お経を読んでいただきに行って参りました。

江原 素六先生が戊辰戦争時に
滞陣したお寺といえば、おわかりになりますね。

重要文化材の祖師堂で、戒名や俗名でも
良心的に立派なお経をあげていただくことができます。

時代はどんなに変われども、岡崎藩士たちが大切にした
「忠義」の心を私も引きついでいます。

次回は小柳津さんのためにーー。
今日も1日よろしくお願いいたします。

康恵




2016.02.16 ID:154438
小柳津 要人 様

昨日はありがとうございました。

お墓の場所から
私の昔住んでいたお家が
あまりに近くて驚きました。

お供えしたお花は
ピンクのガーベラと白いトルコ桔梗。

「感謝、永遠の愛」

そのような花言葉を持つお花たち。

可愛らしいでしょ。

宗吾さんや淑子さんも喜んで下されば
私も嬉しい。

強風で飛ばされていなければ
いいけれど……

こちらのお花も今日は
ピンクのガーベラに。

今日も1日お見守り下さい。

康恵より







2016.02.15 ID:154390
小柳津 要人 様

高祖母・美喜が残した1枚の写真を手掛かりに
『小柳津要人 追遠』を携え、
箱根/三枚橋、沼津香貫/霊山寺、三島、沼津兵学校、
旧駒込林町とあなたの面影を尋ね歩きました。

時代はすっかり変わってしまったけれど
わかったことが1つあります。

岡崎藩士だった高祖母・美喜が
我が家最後の人間となる末裔の私に、
どうしても伝えておきたかった
「ずっと自分が大切にして生きてきたこと」

それは、美喜がまだ少女だったころから
亡くなるその瞬間まで抱き続けた
「小柳津さんへの憧れ、尊敬と感謝の気持ち」

350年続く我が家にとって
幕末や明治はそう遠い昔ではありません。

いつも小柳津さんを近くに感じ
情熱溢れるその生き方を時々思っては
何物にもかえがたい勇気をいただいています。

かつての本多忠勝公のように
劣勢極める徳川方の殿(しんがり)となり、
戊辰の夜明けを駆け抜けたそのお姿を
私はずっと忘れない。

小柳津さんの命の灯がともったこの日に
先祖からの深い尊敬と感謝の気持ちを込めてーー

小栁津さん、ありがとう。

美喜
五十嵐清彦(丸善株式会社 元重役)
康恵




2016.02.04 ID:153870
小柳津 要人様

もうすぐお誕生日ですね。

九段坂の写真館にて撮影したこのポートレイトは
今でも少しも色褪せることなく
とてもとても美しくお優しい眼差しです。

丸善のお写真や碧血会の集合写真は
お厳しい眼差しで、とても怖い表情なのに

なぜにこのお写真だけこれほど美しく、
あたたかい眼差しなのでしょう。

116年も前のお写真とはとても思えず
私まで恋してしまいそうです。

小柳津さんの情熱溢れるまっすぐな生き様が
時空を超え、今日も私を勇気づけて下さいます。

大好きなガーベラの花を持って
近々美喜、清彦と一緒に会いに参ります。

     本多岡崎藩 御用人 伊藤 太兵衛の娘・美喜 (弘化4/9/15生)
          五十嵐 清彦 (丸善株式会社 元重役)
                   康恵

                   

2015.12.07 ID:150582
小柳津 要人様

同じ岡崎藩士で、生前大変関わりの深かった、
伊藤氏の娘・美喜の玄孫でございます。

19世紀が終わる明治32年の11月23日に
美喜に送って下さった素敵なお写真のことを覚えていらっしゃいますか?
 美喜は亡くなるまでずっと、あなた様との思い出とこのお写真とを大切に大切にしていたと思います。
今は私の宝物として、時々あなた様の優しいお顔を拝見しています。

徳川への忠義を貫き、脱藩してまで、戊辰戦争に参加。
命をかけて戦ったあなた様のことを高祖母共々心より尊敬しております。
あなた様のお導きで、祖父は丸善に入社。その後は役員となり、
昭和の丸善を支えました。
 今年の12月20日で美喜は、没後90年を迎えます。
もしも、文久3年3月に戻れたら、西洋流大砲方として、江戸詰となるあなた様に何があっても必ずついていくよう、美喜に助言してあげたい。

小柳津さんあって、我が家の歴史が作られましたことを
感謝と尊敬の気持ちをこれからもずっと忘れません。
ありがとう。

2013.07.01 ID:30832
お悔やみ申し上げます
1922年06月21日に亡くなった人