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保科百助

ほしな ひゃくすけ
1868 - 1911
教育者 鉱物学者
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4日前 ID:181470
        【明治の百助おじへ】
私はあなたの次兄禎助の娘たねの孫にあたる東京出身の親戚ともいえる関係の者です。私の母の弟の小泉六太郎があなたに傾倒し1951年に「保科五無斎」という薄い本を自費出版し知人に配布したのがあなたを世の中に知らしめた初めではないかと思います。今長野県の著名人の中にあなたを入れる人もたまにいますが地元や県教育関係以外、知る人はあまりいないのではないかと思います。ただ3年前に地元で教育関係の仕事をされているペンネームが卯月雪花菜という方が文献を調査して小説「教育のひと 保科五無斎」を世に出していただき嬉しく思っています。また現在、大学で教育学の教授をされている平沢信康という長野出身でない方が2001年に「五無斎と信州教育(野人教育家・保科百助の生涯)」という本を出されました。こちらのは、あなたの真の人物像を客観的に探ろうと当時鹿児島県の大学で教鞭をとりながら長野県まで足を運ばれ調査した末、発売された本だそうで、あなたの実像を知るための貴重な本と言えます。少しずつではあるが、おじさんの人物像が平成の現在まで語りつがれています。(ウィキペディア「保科百助」参照)
2017.04.04 ID:179481
やま
 保科百助の辞世の句...
「われ死なば佐久の山部へ送るべし、
 焼いてなりとも、生でなりとも」
2017.04.01 ID:179183
やま
(主な著書)・五無斎保科百助評伝 (佐久教育会編) 1969年
     ・五無斎保科百助全集 (佐久教育会編) 1964年
     ・信州の人脈 (信濃毎日新聞社編) 1967年 
     ・にぎりぎん式教育論(上・下) (須藤實著)1987年
     ・保科五無斎 石の狩人 (井出孫六著) 1988年
     ・野人教育家保科百助の生涯 (平沢信康著)2001年
     ・教育のひと 保科五無斎 (卯月雪花菜著) 2014年
(DVD)・・学問と情熱 第13巻 保科五無斎 (紀伊國屋書店)
   
     
2017.03.29 ID:178943
やま
明治時代の男性では大柄な170cmもあった、がっしりした体格の保科百助には、バラやチューリップは似合わない。
野生の真っ赤な野菊か、まわりを明るくする野生のヒマワリがピッタリだ。

2017.03.29 ID:178940
やま
明治元年(慶応4年)に生まれ明治44年になくなった長野県の異色の教育者。
小学校時代は優等生で、卒業後同じ小学校の代用教員になる。東京に出ることを夢見ていたが、母親に強く反対され長野県師範学校に入学。
卒業後、小学校の校長として北信から東信地方で勤務。校長時代は各地の産業の育成にも関わり村の生活向上発展に尽くす。
保科が校長時代、特に異彩を放ったのは、校長として初めて赴任した小学校で被差別部落の児童が本校舎で教育を受けられないことに憤り、強引に同じ教室で学ばせたことであった。
「今の世は四民平等、身分差別は過去のものとなった。」という教育者としての信念を持つ保科にとって、校長として自分の目の前での差別は許されることではなかった。

また、県立長野図書館の前身である信濃図書館を設立する時は自分の書物をすべて寄付し、県内各地の知人を訪問、半ば強引に書物を寄贈させた。義務教育の無料化や信州大学の設立の提唱など、戦後に取り上げられた課題を明治時代の後期に提唱するなど、信州教育の開花期に光を放った一人である。







2017.03.28 ID:178868
保科百助は、私の母方の祖母のおじにあたります。保科百助は長野県の人ですが、私は東京で生まれました。父は長野県の浅科村出身で、母は望月町出身です。保科百助を世に知らしめたのは母の弟の小泉六太郎です。「保科百助評伝」の巻頭に掲載されているのが、その私のおじです。百助が、すごい人だったのは、まだ近代の曙ともいえる明治時代に長野という山奥の封建的な因習が強く残る地方で、その頃の東京にいる人にも負けないぐらい現代に通ずる人権の擁護者だったという事です。
人は誰も平等に生きる権利がある。校長として、児童の人権を守り抜こうと懸命に努力し、村の人達から追い出されたこともありましたが、彼の生き様は現代まで少しずつ語り継がれて光を放っていると思います。よく保科は校長時代、出自を調べられたそうです。彼の家が、高遠藩の流れを組み、江戸時代までは代々名主をしていた家柄で、びっくりさせた話も残っているそうです。
2013.07.01 ID:28633
お悔やみ申し上げます
1911年06月07日に亡くなった人