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増子女王

ますこじょおう
1711 - 1733
江戸幕府 征夷大将軍 将軍 徳川家重 正室
増子女王さんについて
旧皇族の一つである伏見宮家第十四代当主邦永親王の第四王女で、江戸時代中期の1711年(正徳元年)に比宮増子(なみのみや ますこ)として生まれる。※資料によっては「比宮培子」と表記するものもある。
院号は證明院(しょうみょういん)で、紀州藩主時代の徳川家八代将軍吉宗の御簾中(正室)であった理子女王(まさこじょおう)は叔母にあたる。
1731年(享保16年)、20歳(満21歳)の時に徳川家九代将軍家重と結婚し、御簾中となる。江戸城西の丸に住んでいたことから、西の丸御簾中と呼ばれていた。1733年(享保18年)に懐妊するも、9月に早産となって子供は亡くなり、自身も産後に体調を崩し、旧暦の10月3日に22歳(満23歳)で亡くなった。
戒名は【證明院智岸真恵大姉】
墓所は寛永寺にあるが、本能寺を信仰していたことから、遺髪と爪が本能寺に送られ、本能寺の変戦没者合祀の北にある供養塔に納められている。
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