まいり
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源義仲

みなもとのよしなか
1154 - 1184
平安時代末期の武将 木曽義仲
2020.03.26 ID:394671
木曽の山奥で育ったので政治には疎かった。
また、洗練されてもいなかった。
都のマナーを知らなかった。
といったところで最後には後白河法皇にも疎まれてしまったという印象ですね。
武にはたけていたんだけど・・。
2020.03.26 ID:394652
「武」には長けていた。されど「政」の部分で課題があった。複雑な想いで貴方を見ざるをえません。そして早世すぎるとも思います。
2020.03.23 ID:393860
源氏の中ではこの人が一番好きです!
2020.03.03 ID:387187
天では本当にやりたかったことを追求して暮らして下さい。
2020.02.28 ID:386192
「非業の最期を遂げた」というところで新田義貞と被るところがあるのだが・・。
2020.02.24 ID:384650
「日ごろは何ともおぼえぬ鎧が、今日は重うなったるぞや」

討ち取られる日、側近の今井兼平にふと漏らした言葉でした。
2020.02.23 ID:384308
この方も源氏の御曹司なんですよね。
2歳から木曽山中で暮らしていたので「木曽殿」と呼ばれていました。
豪放磊落で純粋な感じの方だったのかな?と思います。
大河ドラマ「義経」では小沢征悦さんが木曽殿を演じましたが精悍な感じがすごくよかったです。
2020.02.23 ID:384289
鳩のように素直で、しかし蛇のように賢くなければ生き残れないのかもしれませんね。天では巴御前さんと仲良く暮して下さい。
2020.02.22 ID:384189
巴御前は正妻ではなかったようですけど、最後には「そなたは生き延びよ」と諭して逃れさせた。
お似合いのカップルでしたね。
2020.02.21 ID:383766
貴方は向日葵のような方だったのではないでしょうか?
怖れを知らず、大胆で、人を疑うことも知らなかった・・その無防備さが仇となって、老練な頼朝にしてやられてしまったのではないでしょうか?
2020.02.20 ID:383313
巴御前というよき伴侶(?)がありましたね。
絶世の美女で女武将としても名高い女性が。
義仲殿自身も田舎武者ではありましたが源氏の御曹司でありイケメンだったとのことでお似合いのカップルだったのでありましょう。
2020.02.19 ID:382906
源氏は身内同士で血で血を洗う抗争を繰り返していたからなぁ・・。
義仲ももう少し長期的視野とかブレーンがあったならば・・と思われてならない。
2020.02.19 ID:382827
勝利を重ねてきた木曽義仲も武運が尽きる。敗走の末、ついに従者と二騎だけになった。平家物語の「木曽最期」である。武将はもらす。<日来はなにともおぼえぬ鎧が今日は重うなッたるぞや>今までわが身を守り、体の一部となって功を支えた武具だ。それを重たく感じる時が来ようとは。悲しみをたたえたせりふを、驚きのマイナス成長のニュースに思い浮かべた<中日新聞「中日春秋」2月19日>
2020.02.10 ID:379584
「平家物語」では結構長い記述があります。
あの時代においては一世を風靡したのは間違いない武将でした。
惜しむらくは長期的戦略と洗練さがなかったことでした。
あと、ブレーンも。
それが、頼朝との違いだったと思います。
しかし老練な頼朝も結局妻側の北条氏によって子孫を根絶やしにされてしまいましたね。
結局はどちらが勝ったとも言えない結果になったのでは?
2020.02.09 ID:379224
あの時代(源平合戦時代)の風雲児だったと思うな。
2017.06.04 ID:185638
あかしはく
あなたに出会えたのがそもそもの私の歴史好きの始まりだった。お墓参りに行きますね。
 ID:5884
お悔やみ申し上げます
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