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馨子内親王

けいしないしんのう
1029 - 1093
後一条天皇の皇女 中宮 斎院
馨子内親王さんについて
 平安時代の皇族、中宮、斎院。後一条天皇第2皇女。母は中宮藤原威子(いし)。同母姉に、後冷泉天皇の中宮となった章子(しょうし)内親王がいる。
 姉の章子内親王に続いて皇女であったため、男子を期待していた宮中の人々からは出生時に白眼視されたという。1031年、3歳で賀茂斎院となる。
 のち祖母(伯母でもある)上東門院彰子のもとで養育され、51年に23歳でいとこの尊仁(たかひと)親王(後の後三条天皇)に入内。この入内は、尊仁親王及びその母禎子(ていし)内親王と藤原頼通一派との対立を和らげようという彰子の意向であった(後冷泉天皇に皇子が誕生しないのを焦った彰子・頼通一派による皇子誕生のための打開策と思われる)が、うまくいかなかった。
 尊仁親王との間に1男1女をもうけるが、2人とも夭逝。68年尊仁親王が即位、それに伴い翌年中宮となる。しかし天皇の寵愛は専ら女御(にょご)源基子(きし)に向いていた。
 72年天皇が譲位、翌年上皇と共に出家するが間もなく上皇は崩御。以降は西院(さいいん)(淳和天皇が造った離宮・淳和院の別名)で暮らし、「西院皇后」と呼ばれた。
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